本文
1934‐2019
大阪出身の小説家、本名は村上卓児。
大阪窯業耐火煉瓦株式会社(現株式会社ヨータイ)に就職、初めての勤務地は日生工場で、昭和32年から11ヶ月間勤務した。同33年に大阪本社へ転勤になり、勤務のかたわら同人誌「宇宙塵」に参加。同36年「下級アイデアマン」で文壇に登場。同38年9月に大阪窯耐を退社し専業作家として活動を始めた。
「日生には11ヶ月足らずだったが、大阪生れの大阪育ちで、初めての異郷暮らしだったし、疾風怒涛の時代であった。……小さい頃住んでいた場所が空襲で焼かれ、…日生になんとなく故郷めいたイメージを抱くようになった……その後も、仕事が行きづまったりストレスがたまってきたりすると日生へ出掛け、一泊する癖がついた。今でもそうなのである。実をいうと、ぼくは、そのせいで、自分の書いたものの舞台に、何度も日生を使っている……」といっている。
昭和54年「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞及び星雲賞を受賞。純SF的な味わいの短・中編小説、エッセイ、ジュブナイル小説を多数書いた。