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熊沢蕃山顕彰事業のクラウドファンディングを開始します

記事ID:0008865 更新日:2020年10月6日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)顕彰事業

熊沢蕃山顕彰事業のクラウドファンディングを実施します!

 備前市では、近世における偉大な儒学者であり、岡山藩主池田光政の下で藩政の刷新に卓越した働きをされた熊沢蕃山をより多くの人に知ってもらうため、全国に蕃山の遺徳を発信するとともに、現在顕彰事業として計画している【(1)創作絵本・紙芝居の作品募集】【(2)展示品等の作成】を実施するため、全国の皆さんからのご支援を賜りたいと考えています。

 ※クラウドファンディングの目的、寄付金の使い道等詳細は、下記のふるさとチョイス<外部リンク>のページをご覧ください!

【特設サイト】

ふるさとチョイス<外部リンク>

 まずは、熊沢蕃山がどんな人物か知ってもらい、蕃山の事績や思想から、現代の教育課題や環境問題等について様々な学びを深めていただければと思います。そして備前市で進めている顕彰事業を通じて蕃山の教えや考えを発信し、人づくりの大切さを後世に引き継ぎたいと考えています。(クラウドファンディングの受付期間:令和2年10月1日~12月29日)

熊澤蕃山先生没後330年記念冊子(熊澤蕃山顕彰保存会 謹製) [PDFファイル/6MB]

 

~熊沢蕃山とは どんな人物!?~

 蕃山

 熊沢蕃山(1619~1691年)は江戸時代初期の陽明学者で、岡山藩主 池田光政にも仕えました。蕃山の思想に傾倒した池田光政のもとで様々な藩政改革に取り組みました。

〇承応三年(1654年)に備前平野を襲った洪水や大飢饉の時、あらゆる手段を使って飢民(被災者)を救済しました。

〇自然環境保護を前提とした治山・治水事業、農業政策等を実践しました。

〇学問による国づくり・人づくりを推奨し、やがて全国に先駆けての藩校、庶民教育の殿堂旧閑谷学校の設立への基礎をつくるなどの教育振興に尽力しました。

 これらの業績により、名君池田光政公とともに、熊沢蕃山の名は全国に知れ渡りました。

 2020年度は熊沢蕃山没後330年を迎え、近世日本の教育遺産群である「閑谷学校」の創学350年とあわせ節目の年とし、熊沢蕃山の顕彰事業を実施していきます。

熊沢蕃山と備前市

 岡山藩に仕えていた蕃山は、1657年に知行地であった寺口村(現備前市蕃山)へ住居を移し、岡山藩から退きました。藩士十数人と共にこの地に隠棲した蕃山は、地名を蕃山村(しげやまむら)、また名前も蕃山了介と変更しました。約4年間にこの地に在住し、河川改修や田畑の開墾、また村人への教育等も行いました。(下の写真は左は熊沢蕃山宅跡、右は井田跡)

蕃山宅跡 井田跡

治山・治水政策

 蕃山は、治山(植林等林業)、治水(水路・ため池・堰堤等)等農業振興も含めた土木事業に卓越した手腕を発揮した人でもありました。代表的なものを挙げると、岡山城を取り巻き流れる旭川は、当時度々氾濫を起こしましたが、蕃山は旭川の氾濫を防ぐために、上手に放流水路を企画設計しました。のちに津田永忠が事業を引き継ぎ、これを完成させました。これが百間川であり、地域住民はそれ以後旭川の氾濫から解放されました。

 蕃山の事業は「天人合一」をテーマにどの事業も堅実・堅牢で知られていました。それは、自ら現地調査を徹底して行い、時間を十分かけ、労働者を大切にいたわり、費用を惜しまないで、より丁寧に確実に工事に当たっているからです。蕃山の事業は、百間川、備前市香登の大ケ池等藩内はもとより、大分県竹田市、終焉の地となった茨城県古河市等全国各地に存在していて、それが現在でも立派に機能しています。      

天人合一(てんじんごういつ)

         「山林は国の本なり」

    木草しげり山は、土砂を川中に落とさず。

    雨降れども木草に水を含みて、十日も二十日も自然に川に出る故に

    かたがたもって 洪水の憂いなし。

    山に草木なければ、土砂川中に入りて川床高くなり候。

    大雨を預ふべき草木無き故に、一度に川に落入。

    しかも川床高ければ、洪水の憂いあり。

 これは、自然と和合し協力すれば気候も温和で産物も豊かになるが、森林のむやみな伐採等の自然破壊をすれば、やがて人間に洪水等自然災害の災いが及び、不幸になると述べています。

 現在、自然環境破壊が深刻化しています。地球温暖化等により自然の猛威にさらされ、世界中で様々な災害が発生していますが、熊沢蕃山は350年も昔に自然破壊の禺として述べているのです。

閑谷学校と蕃山の思想

閑谷学校

 閑谷学校の設立には熊沢蕃山は直接的にはかかわっていませんが、天下の三賢候として知られる岡山藩主 池田光政に、学問による人づくり・国づくりの大切さを説き、仁政を施す教育振興に導いたのが熊山蕃山です。蕃山は、師である陽明学者 中江藤樹の子息や門弟を岡山に集め、藩士の教育を行い、全国に先駆けた藩校の設立に尽力しました。また、庶民教育の必要性も説き、これがやがて庶民教育の殿堂 旧閑谷学校創立へと向かっていきました。郷学旧閑谷学校は士庶共学で他藩からの生徒にも門戸を開き、ここから多くの指導者を輩出しました。

古くて新しい「教育のまち備前~学びの原郷 閑谷学校が開かれたまち~」

 熊沢蕃山の学問や思想は、幕末において再び脚光を浴びることとなり、吉田松陰など明治維新の原動力になった人々に思想的な大きな影響を与えました、また、江戸城無血開城に尽力した勝海舟は、蕃山を「儒服を着た英雄」と称えていますし、備中松山藩の山田方谷も蕃山の信奉者でした。

 また、旧閑谷学校で行われた学問、儒学の中心は「論語」であり、時代を超えた人生の道しるべとして多くの人々に現在でも愛され続けています。多くの人を魅了した蕃山の儒学の中心的なものでもあり、人づくり・国づくりのための教育に繋がっていると思います。

 備前市では、コンピュータを使ったプログラミングなどの学校教育が中心となる現代教育のなかで、「人の心を育てる」教育や環境教育も含めたバランスの取れた教育を目指していきます。

 

熊沢蕃山 創作絵本・紙芝居 作品募集をしております!

 

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