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日本遺産(六古窯)
日本遺産認定
(JAPAN HERITAGE)
きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地-
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平成29年4月28日、備前焼(備前市)が、越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)とともに、日本六古窯として連携して日本遺産に認定されました。
平成27年には、旧閑谷学校などを構成文化財に「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」として日本遺産に認定されています。
備前焼(海揚り緋襷鶴首徳利)
(岡山県備前市)
越前焼
(福井県越前町)
瀬戸焼
(愛知県瀬戸市)
常滑焼
(愛知県常滑市)
信楽焼
(滋賀県甲賀市)
丹波立杭焼
(兵庫県丹波篠山市)
1 認定ストーリーの概要
瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波、備前のやきものは「日本六古窯」と呼ばれ、縄文から続いた世界に誇る日本古来の技術を継承している、日本生まれ日本育ちの、生粋のやきもの産地である。
中世から今も連綿とやきものづくりが続くまちは、丘陵地に残る大小様々の窯跡や工房へ続く細い坂道が迷路のように入り組んでいる。恋しい人を探すように煙突の煙を目印に陶片や窯道具を利用した塀沿いに進めば、「わび・さび」の世界へと自然と誘い込まれ、時空を超えてセピア調の日本の原風景に出合うことができる。
2 ストーリー構成文化財(備前市)
焼物の里の文化的景観
窯元の角地に松割木のまきが規則的に積み重ねられ乾燥させられている。松割木は窯焚きの時、煉瓦製の煙突から黒色の煙がはきだす。
伊部を囲む山々、不老山、医王山、榧原山は流紋岩からなり、そこから生成、堆積した田土は備前焼の原料粘土として使用され、独特の味わいを器に描き出す。
伊部の旧家の中には土塀に窯の破片・陶片を練りこみ、屋根に半分にした土管をのせるものがみられる。また段差のある敷地境界やあぜ道では土留に江戸時代の土管列もみられる
備前焼の焼成技術
備前焼は登り窯や窖窯で焼成されるが、炎によりうつわの表面に描き出された独特の味わいは「窯変」と呼ばれる。現在では「まき」で焼成する産地は少なく、窯焚きは釉薬を使わない土にあわせた独特のもの。
無形文化財 備前焼の製作技術
高度成長期「備前中興の祖」金重陶陽が人間国宝になり多くの作家が生まれた。現在では伊勢崎淳氏をはじめ5人の人間国宝を輩出した焼物の産地として知られている。岡山県、備前市でもそれぞれ無形文化財の保持者を認定する制度を運用している。
備前焼熊山古窯跡群
伊部の北、熊山山中に点在する窯跡群で、鎌倉時代から室町時代のもの17基が市指定史跡となっている。付近には名勝地の屏風岩もある。
備前陶器窯跡
伊部南大窯跡
伊部北大窯跡
伊部西大窯跡
室町時代末頃に築かれ、江戸時代は岡山藩の保護と統制を受けながら、窯元六姓の制度の中で幕末まで操業された大窯群で、いずれの窯でも長大な規模をもつ複数の窯が見つかっている。榧原山山麓にある伊部南大窯跡には全長53.8m、幅5.5mの巨大窯がある。
小幡山長法寺
天津神社
備前焼の作家・窯元ゆかりの寺社で、備前焼が多く寄進されている。長法寺は報恩大師備前四十八ヶ寺のひとつで本堂は明和7(1770)年に上棟。天津神社は、天正7(1579)年現在地に遷宮されたもので、本殿は延宝6(1678)年の改築。門・参道には備前焼瓦などが使用されている。
備前焼狛犬
備前地域では、神社の社頭で備前焼の宮獅子を見かける機会が多い。江戸時代後半から近代にかけて窯元の主力商品として多く作られ、全国へ流通した。木谷天神社に奉納された備前焼狛犬(貞享3(1686)年の銘文、備前焼ミュージアム寄託)や片上宇佐八幡宮の大型(像高1.4m、胴回り2.5m、文政9(1826)年の年号をもつ)の獅子は代表的な作品である。
旧閑谷学校
岡山藩主池田光政が造った日本最古の庶民のための公立学校といわれる。江戸時代前期の建物と配置がほぼそのままの形で残る。国宝の講堂や聖廟など主要な建物だけで約5万枚の備前焼の瓦が使用されている。元禄13年(1700)銘の丸瓦も国宝に指定されている。
備前焼まつり
備前焼のまち伊部で、毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日開催。日本全国や海外から十数万人の方が訪れる大規模な陶器の祭となっている。
3 日本遺産(Japan Heritage)とは
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することにより、地域の活性化を図ることを目的としています。