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備前焼の生い立ち(7/7)

記事ID:0003573 更新日:2020年2月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

明治から現代までの備前焼

伝統の火を死守、繁栄の基礎を

藩の保護規制の無くなった近代になって、備前の地に個人窯が出現し始めました。

しかし明治の殖産興業や海外向け輸出にもシフトしきれず、かといって、土管や衛生陶器に乗り出すほど原料粘土が無尽蔵でもありませんでした。大正から昭和初期にかけても窯業は世界の荒波を受けて振るわず、おまけに日本経済そのものが不況のどん底であえぐようになりました。三村陶景、西村春湖、小西陶古、石井不老、伊勢崎陽山等細工物で頑張る名人もいましたが、焼物に陽は依然当たりませんでした。

それでも日本の焼物の中で、ただ一つ備前焼だけが黎明期から今日まで途絶えることなく歩み続けたのは、恵まれた土や風土のおかげだけではなく、それぞれの時代の中の人々のたゆまぬ努力や、どん底にあってもひたすら伝統の火を死守してきたど根性の結果であることは間違いありません。

しかしそのような中で、大正7年、昭和15年の二度にわたって桃山時代の古備前の、見たこともないような優品がザクザクと、早くから桃山備前にひたすら心寄せる先見的数寄者陶守三思郎氏らの手によって直島沖の海から引き上げられ、各方面に衝撃的反響を巻き起こしました。それらの作品はそれほど素晴らしかったし、それまでの研究成果や伝世品ではあり得ないような器種もたくさん含まれていました。

桃山研究と回帰

一方県外では荒川豊蔵、川喜田半泥子らをはじめ全国的に焼物の桃山研究と回帰が始められていました。

備前の作家では全国的作家、識者と連帯する金重陶陽が奮起し、その役を担って、桃山備前へ帰ろうという流れが指向され、今日の繁栄の礎を作りました。引き続いて藤原啓、山本陶秀へと、伝統と前進が試みられ、さらに備前焼を支える人達へリレーされ、今日活動する四百数十人の胸の中に炎の精神は流れ、さらに燃え上がり、今のひとまずの繁栄に至っているわけですが、この繁栄はある序曲です。携わる人の眼と現状や展望認識にかかってますが、その繁栄の波よりもっと大きな波が今訪れようとしているように私には思えます。現在の状況を本当の繁栄と見るのは中世の備前焼のあの日本の市場を席巻した威力も知らない人です。同じことが日本の磁器の世界でも言えます。伊万里も確かに活況を呈しています。

江戸時代にオランダの東インド会社を通じて、長崎の出島から伊万里はヨーロッパに大量にもたらされていました。オランダ商館の記録だけでも、200万個にも及び、一説には全体で七百数十万個も輸出して世界に君臨していたと言われています。

しかし今や全く磁器生産の不毛の地であったヨーロッパから、大挙して磁器がやって来ている事態が生じています。

ドイツのマイセン、S・Pドレスデン、ローゼンタール、フッツェンロイター、ハインリッヒ、ビレロイ&ボッホ、アルツベルグ、さらに欧州全体に派生したデンマークのロイヤルコペンハーゲン、ビング・オー・グレンダール、グスタフスべーイ、フランスのセーブル、アヴィランド、ベルナルド、レイノー、ジョルジュ・ボワイエ、エルメス、リモージュ、イギリスのウェッジウッド、スポード、エインズレイ、ロイヤルウースター、ロイヤルドルトン、ミルトン、ロイヤルクラウンダービー、パラゴン、ウイリアムアダムス、コールポート、クラウンスタッフォードシャー、イタリアのリチャードジノリ、ハンガリーのヘレンド、オーストリアのアウガルテン、スェーデンのロールストランド、ノールウェーのフィジョー、アメリカのレノックス、オランダのロイヤルデルフトなどです。

これらヨーロッパ各国の磁器は伊万里の摸倣から始まったとはいえ、必死の努力と競争の甲斐あって、今では伊万里よりはるかに高い技術やデザイン力と、説明し難い魔力で、逆に日本の若い女性を魅了しながら日本国内の磁器高級品市場を奪ってしまっています。かつてのお手本国は思わぬ守勢に立たされるという現状に遭遇しております。

日本の陶磁器の両雄とも審美眼と過去、現在、展望をしっかりと結んで、その行く先を見誤って欲しくありません。

■これからは世界の備前焼に

備前焼などの焼締陶はまだ外国から殆ど認められていません。厳密には、知られていないと言ったほうが正確かも知れない。諸状況から考えると備前焼は、これから世界に、日本文化と共に受け入れられる素地を十分に持っています。

明治以来日本は日本文化を捨てるという犠牲を払いながら、ひたすら高度成長経済をくぐり抜け、突っ走り、そして経済的に世界に躍り出ました。その急速な発展は世界の人々を驚かせました。経済的頂上に立ってみると、日本は日本のことを失い、忘れていたことにジャパンパッシングを通じて気付かされ始めました。

私たちが、博物館でモノを見るとき、そのモノの向こう側の文化や歴史を見なければ、本当のモノを見たことにならないと同様に、外国の人たちが最も知りたがっているのは経済の向こうにあるもの、文化です。欧米人にとって氾濫する日本商品の向こう側が何も見えないためにいらだっているのです。

私たちは焼物に限らず、本当のモノを見せ、文化を理解して貰うような情報を積極的に提供すべきなのです。

日本の文化の神髄を良く具現したものとして、共通語「焼物」で日本を語る時、備前焼は歴史的、文化的に最もふさわしい焼物であると思います。

こうして備前焼という切り口で、誕生から今日まで見てきたわけですが、日本人自身のこととして、時代とモノ、時代の流れと美意識の厳然たる関係は分かって頂けたでしょうか。

それにしても備前焼というのは、人間の本性や温か味、大地に根ざした健康的優しさ、潔ぎ良さ、そのような諸々の本質が、焼かれても、また時代に叩かれて何時までも消されないで、したたかに残ってきた底力のある不思議な焼物ではありませんか。