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e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城>

記事ID:0000553 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

戦国武将浦上氏ゆかりの城

片上公民館

浦上氏ゆかりの城

富田松山城砦
  • 所在地  備前市東片上
  • 形 式  輪郭式山城
  • 遺 構  本丸跡、二の丸跡、郭、石垣、土塁、堀切

富田松山城

 標高209mの山頂に築かれた有事籠城型山城。

 築城は、『備前軍記』に文明15年1483)の福岡合戦の記述の中に出くるので、その頃と思われる。三石城を拠点にしていた浦上氏によって、備前焼の出荷港である“片上港”を押さえるために築かれた城。

 享禄4年(1531)、西播磨、備前東部を領して戦国大名となった浦上村宗が死ぬと、その遺領は三分され、村宗の三男浦上国秀が1532年から1554年頃まで城主となり、城を本格的城郭に改修した。ところがその後未詳で、『備陽記』によると永禄11年頃(1568)は、浦上景行が城主だったようである。天正5年(1577)落城するまで景行だったと言われている。 本丸は、60m×38m四方あり、周りに高さ1m、幅2mの土塁に囲まれている。山頂本丸の西に二の丸、続いて大手曲輪(おおてくるわ)、大手筋(おおてすじ)、犬走(いぬばし)りとなっていて、山頂東に三の丸、搦手筋(からめててすじ)、堀切(ほりきり)、東出丸(ひがしでまる)となっている。

富田松山城写真の画像1
本丸跡

富田松山城写真の画像2
大手曲輪

富田松山城写真の画像3
大手腰曲輪(おおてこしくるわ)

富田松山城写真の画像4
大手筋

  • 本 丸  天守閣。城の中央に高く設けた物見櫓(ものみやぐら)
  • 堀 切  地面を掘って切り通した水路
  • 大手筋  城の正面の大通り
  • 搦手筋  城の裏門。または敵の背面を攻める軍勢
  • 犬走り   築地の外壁の溝との間の狭長な空地
  • 曲 輪   城、砦など一定の区域の周囲に築いた土、石の囲い

 ※城の登り口あたりには、浦上国秀一族の墓が現存し、西宮在住の現当主が供養している。