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e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城>
戦国武将浦上氏ゆかりの城
片上公民館
浦上氏ゆかりの城
富田松山城砦
- 所在地 備前市東片上
- 形 式 輪郭式山城
- 遺 構 本丸跡、二の丸跡、郭、石垣、土塁、堀切
標高209mの山頂に築かれた有事籠城型山城。
築城は、『備前軍記』に文明15年1483)の福岡合戦の記述の中に出くるので、その頃と思われる。三石城を拠点にしていた浦上氏によって、備前焼の出荷港である“片上港”を押さえるために築かれた城。
享禄4年(1531)、西播磨、備前東部を領して戦国大名となった浦上村宗が死ぬと、その遺領は三分され、村宗の三男浦上国秀が1532年から1554年頃まで城主となり、城を本格的城郭に改修した。ところがその後未詳で、『備陽記』によると永禄11年頃(1568)は、浦上景行が城主だったようである。天正5年(1577)落城するまで景行だったと言われている。 本丸は、60m×38m四方あり、周りに高さ1m、幅2mの土塁に囲まれている。山頂本丸の西に二の丸、続いて大手曲輪(おおてくるわ)、大手筋(おおてすじ)、犬走(いぬばし)りとなっていて、山頂東に三の丸、搦手筋(からめててすじ)、堀切(ほりきり)、東出丸(ひがしでまる)となっている。
本丸跡
大手曲輪
大手腰曲輪(おおてこしくるわ)
大手筋
- 本 丸 天守閣。城の中央に高く設けた物見櫓(ものみやぐら)
- 堀 切 地面を掘って切り通した水路
- 大手筋 城の正面の大通り
- 搦手筋 城の裏門。または敵の背面を攻める軍勢
- 犬走り 築地の外壁の溝との間の狭長な空地
- 曲 輪 城、砦など一定の区域の周囲に築いた土、石の囲い
※城の登り口あたりには、浦上国秀一族の墓が現存し、西宮在住の現当主が供養している。