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e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城>

記事ID:0000552 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

戦国武将浦上氏ゆかりの城

片上公民館

浦上氏ゆかりの城

天神山城
  • 所在地 和気郡佐伯町田土
  • 形   式 連郭式山城
  • 遺   構 郭、石門、堀切、井戸、侍屋敷、出丸

天神山城の画像

 天神山城は、吉井川を見下ろす標高303mの天神山の山頂さんちょうに、享禄(きょうろく)5年(1532)に浦上宗景(うらかみ むねかげ)によって築かれた。宗景一代限りの山城である。

 縄張りは、典型的な連郭式山城。尾根沿いに細く延びた曲輪群、その左右は立ちすくむような急斜面となっている。本丸は天神山の山頂に置き、北に二の丸、大手曲輪(桜の馬場)、三の丸曲輪群を、南に飛騨の丸の段などの曲輪群を配置している。   

 さらに、南には、堀切、別峰の太鼓丸(出丸)があり、城の搦手を防備している。

 また、田土地区別山麓に根小屋が構えられていた。この根小屋から大手曲輪へと登る道(みち)がこの城の大手道だった。天神山の西側の麓には、段階状に侍屋敷群(さむらいやしきぐん)があり、石垣や土塁が残っている。

 空気の澄んだ天気のよい日には、片上の城山から遠く天神山を望むことができる。

城の沿革

 浦上宗景は、父浦上村宗没後、室山城主の兄浦上政宗と不和となり、富田松山城主の弟浦上国秀とともに備前東部の国人たちを引き連れ自立した。天文(てんぶん)12年(1543)に備前守護職赤松晴政の備前進攻軍を撃退して、備前での領主権を確立し、戦国大名へと成長した。ところが、永禄(えいろく)年間頃、臣下の宇喜多直家との力関係が逆転し、天正(てんしょう)5年(1577)天神山城は、宇喜多直家に攻められ、数日間の攻防の末落城した。

天神山城絵図の画像
天神山城鳥瞰図(てんじんやまじょうちょうかんず)