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e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城>

記事ID:0000550 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

戦国武将浦上氏ゆかりの城

片上公民館

浦上氏ゆかりの城

香登城

香登城跡

  • 所在地  備前市香登西
  • 形   式  連郭式山城
  • 遺  構   郭、石垣、堀切、井戸、土塁

 香登城は、高さ292mの山頂にあった連郭式(れんかくしき)の山城で、別名“城山(じょうざん)”とも呼ばれた。西国より東上するには、必ずこの城下を通らねばならない要衝の地にあった。

 総延長約300mに及んで城郭)施設が構築されていた。城郭造成が土壇築城と地山削り出しによってなされており、縄張りは、城山山頂部に本丸を構え、その南側尾根先に四段の腰曲輪を配し、またその尾根先70mの自然地形の間隔をおいて二の丸を設け、その先端に腰曲輪を備える。

 一方、二の丸から南東に分岐した尾根の頂上に三の丸を設けている。本丸の主峰続きの尾根上には出丸が配置されている。

 香登城の城郭構造は、中世的な有事籠城型であり、要衝の地形に郭を構えている。

 浦上則宗の三男宗久が備南の備えとして、香登城に派遣されていたと考えられている。ところが、宗久は兄の三石城主宗を裏切り、赤松義村に通じたため、村宗の家臣宇喜多能家の知るところとなり、香)登城から逃亡した。その後は、宇喜多能家が城主となった。