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e-Bizen Museum <戦国武将浦上氏ゆかりの城>
戦国武将浦上氏ゆかりの城
片上公民館
浦上氏ゆかりの城
香登城
- 所在地 備前市香登西
- 形 式 連郭式山城
- 遺 構 郭、石垣、堀切、井戸、土塁
香登城は、高さ292mの山頂にあった連郭式(れんかくしき)の山城で、別名“城山(じょうざん)”とも呼ばれた。西国より東上するには、必ずこの城下を通らねばならない要衝の地にあった。
総延長約300mに及んで城郭)施設が構築されていた。城郭造成が土壇築城と地山削り出しによってなされており、縄張りは、城山山頂部に本丸を構え、その南側尾根先に四段の腰曲輪を配し、またその尾根先70mの自然地形の間隔をおいて二の丸を設け、その先端に腰曲輪を備える。
一方、二の丸から南東に分岐した尾根の頂上に三の丸を設けている。本丸の主峰続きの尾根上には出丸が配置されている。
香登城の城郭構造は、中世的な有事籠城型であり、要衝の地形に郭を構えている。
浦上則宗の三男宗久が備南の備えとして、香登城に派遣されていたと考えられている。ところが、宗久は兄の三石城主宗を裏切り、赤松義村に通じたため、村宗の家臣宇喜多能家の知るところとなり、香)登城から逃亡した。その後は、宇喜多能家が城主となった。