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e-Bizen Museum <柴田錬三郎略伝6>
柴田錬三郎略伝
東鶴山公民館
帰省時の思い出
私は、大学の頃、帰省する時は必ず、片上港から、巡航船に乗らずに、三里の峠越えをしたものである。(中略)
私は、あの峠を思い出すたびに、きまって一人の少年の俤(おもかげ)を脳裡に甦らせる。
たしか、大学二年の春であった。私は東京を前夜発って、うららかに晴れた午後には、峠の上に帰りついていた。
そのおり、ふかい渓谷に面した、尾根づたいのはるかな山径を、樹々の隙間に見えかくれして、登って来るひと影があった。(中略)
私は微笑した、徳平だったのである。
彼は、大学生の私の、故郷の村で唯一の友人であった。私が、釣に行く時、船を漕いだのは徳平であった。私が、奥座敷で読書をしていると、徳平は、縁側に音もなく忍び寄って、忠実な犬のように、一時間でも二時間でも、そこに蹲っていた。(中略)十五年前の話である。