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e-Bizen Museum <柴田錬三郎略伝3>

記事ID:0000540 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

柴田錬三郎略伝

東鶴山公民館

錬三郎の故郷

鶴海の入り江の写真

 三方山でかこまれた村をつつむ夜は、山と土地とまだハッキリ見わけのつかない闇の中に針でつついても亀裂の入りそうなするどい空気をはりつめていた。
 (中略)瞼をふさげば、海辺の風物が――あの岬につき出た松の枝ぶりが、今にもひしゃげそうな藁葺きの家のたたずまいが、波止場にかたむいた 果物倉庫のかたちが、氏神さまのある 不恰好な小山の色あいが、湾に流れ入る小川にかけられた石橋の傾斜が、でこぼこの県道を走るボロクソのバスのすがたが――彷彿として、カメラ・アイのごとく 眼底に映ずるのだ。
 

(「故郷(ふるさと)のメルヘン」『旅』昭和27.11月号より)から

不恰好な小山の写真

石橋の写真

 錬三郎が生まれたころはまだ、鶴海から十里はなれた岡山市まで、1日に2回しかバスが出なかった。鶴山村鶴海は現在、備前市の工業地区として栄えている。

(昭和26年、和気郡片上町と伊部町が合併になり備前町が設置されたが、昭和30年、和気郡鶴山村、香登町、伊里町が備前町と合併された時、邑久郡鶴山村も合併になっている。備前町はその後、昭和46年に三石町とも合併になり、市制となった。)

 だが、鶴海はながいあいだ、交通の便が悪かった。大阪あたりからこの入江の村へたどり着こうとするならば、山陽本線の 和気清麻呂(わけのきよまろ)ゆかりの地である和気駅で降りて、軽便鉄道で30分、片上というさびれた小港に出なければならない。

 そこから巡航船で20分、入江の海を走らなければ鶴海には着かないのだ。巡航船に乗らない方法もあるのだが、片上から鶴海まで三里の峠越)えを余儀なくされる。鶴山村鶴海は海岸でねむったような僻地であったのである。

巡航船の写真

鶴海の入り江の写真
鶴海の入り江、右手前に唐島。明地山は、まだ、削られていない。