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e-Bizen Museum <加藤忍九郎翁物語4>

記事ID:0000494 更新日:2019年12月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

忍九郎と三石 加藤忍九郎翁物語

三石公民館

事業家への道

 そしていよいよ、社会は急展開、江戸幕府は倒れ、時代は明治維新へと変わりました。
 しかし、世の中の制度はすぐには変わりません。忍九郎は、さらに田倉村の名主にもなりました。
忍九郎 「大政奉還、いよいよ天皇様が中心となる政府か、父上、私はすべての役目をお上へ返上します。父上、私は前から考えていました。時がきたら事業を起こすことをお許し下さい。私は百姓には向いていません。」
父 「忍九郎、何をやりたいのじゃ。」
忍九郎 「私は、酒を造ります。だから蔵を建てましょう。」

 加藤家は、ついに事業家の家柄へと踏み出しました。父素兵衛が亡くなったある日、忍九郎の魂をムラムラとさせ、企業意欲をかきたてる出来事がありました。
 以下は、朝日新聞の「人物譚ふるさと岡山」に昭和54年に掲載された記事によります。
 『明治5年のある月ある日、完成したばかりの岡山県庁へ白い妙な石を持ち込んだ商売人があった。』
商売人 「今度 欧州のウイーンという所で万国博ちゅうもんが開かれるそうな、どうですそれにこの石を出品してはいかがでしょう。」

事業家への道(じきょうか)の画像1事業家への道(じきょうか)の画像2

お役人は、しげしげと石を見つめて
お役人 「これが蝋石というものですか。何の役に立ちますか。」
商売人 「これは、またの名を大理石ちゅうて欧州では彫り物に使うとるそうです。」
お役人 「ほなこれが大理石ですか。」
と感心しながら、役人は机の上の石板に向かって棒でしきりに何か書いている。
そばで聞いていた忍九郎が言った。

忍九郎 「この細い棒はいったい何ちゅうもんですか。」
商売人 「これは、石筆ちゅうもんです。それからこれが石板ちゅうもんで、この上に石筆で字を書き、またすぐ消すこともできます。」
忍九郎 「この石筆は、どの位するもんですか。」
商売人 「悪いもんでは、一本 二銭、上等品じゃと三銭もします。」
 その頃、お米一升の値段が七,八厘、石筆一本が二,三銭はまことに高い、驚くべき値段だったので、忍九郎はそうそうに県庁を退散したが、帰り帰り、「あんな石ならわしの村の山にはいっぱいあるわい。」とつぶやきながら。・・・』
 忍九郎は、この県庁での出来事がなかったらモヤモヤとしながらも酒造りの事業で終わったかもしれません。

事業家への道(じきょうか)の画像3事業家への道(じきょうか)の画像4

忍九郎の妻 「あなた、そんな石の筆なんて、だめだめ。」
忍九郎 「いや、県庁で見たあれは、粗悪な物で2銭もするというとった。これからは、日本の子供もみんな勉強する。それには、もっと安くて良い石筆が必要なのじゃ。売れる、売れるぞ。お前は、だまってわしについて来い。」
忍九郎 「わしは、前から八木山(やきやま)の淨慶仏には、感心していたのじゃ。あの前の山の白い所が気になっていたのじゃ。あの石はすべすべしてさわっても気持ちがいい。あれを削ってみよう。」
忍九郎 「うん。これならいける、よく書けるぞ。」
忍九郎の妻 「あなた、私負けたわ。これなら、子供も持てますわね。」

 いよいよ石筆作りを事業と考えた忍九郎は酒造りは二の次となり蔵まで石筆作りの工場にしてしまった。
 明治5年政府は学校制度を導入するや、読み書きそろばんを基本に全国の子供たちに勉強の機会を与えました。

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