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e-Bizen Museum <宇野圓三郎物語14>
郷土が生んだ治山・治水の先駆者 宇野圓三郎物語
西鶴山公民館
治山・治水に尽くした宇野圓三郎の一生
年 | 年齢 | できごと | |
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1834年 | 天保 5 | 0歳 | 5月21日福田村(備前市福田)に生まれる |
1841年 | 12 | 7歳 | 寺子屋(備前藩香登習字所)に入る |
1848年 | 嘉永 元 | 14歳 | 寺子屋( 同 )をやめる |
1851年 | 4 | 17歳 | 福田村名主になる。それから散田興起肝煎、里正(りしょう)、副戸長、戸長となり、28年間務める |
1862年 | 文久 2 | 28歳 | 父 万介死亡する |
1863年 | 3 | 29歳 | 福田村の荒廃した山に「土砂せき止の工事」をする |
1868年 | 明治 元 | 34歳 | 明治維新 |
1871年 | 4 | 37歳 | 5月県内各地に洪水被害が発生した |
1872年 | 5 | 38歳 | 4月旭川で洪水が発生した |
1878年 | 11 | 44歳 | 福田村戸長をやめる |
1880年 | 13 | 46歳 | 7月県内各地で洪水被害が出た 特に見延(みのべ)、久代(くしろ)、巨瀬(こせ)は激じん |
1882年 | 15 | 48歳 | 4月「治水建言書」を県令に差し出す 9月県の「砂防工施工規則」が定められる 11月岡山県土木掛雇になる 岡山市南方に転居 |
1883年 | 16 | 49歳 | 県営砂防工事始まる |
1884年 | 17 | 50歳 | 8月小田、浅口、児島、邑久、和気郡などで洪水高潮の被害が出る |
1887年 | 20 | 53歳 | 8月美作地方に洪水被害が発生する |
1888年 | 21 | 54歳 | 4月「砂防工事の標」(建部町中田)が建つ 8月「風土治水歌」を発表する 9月「治水本源砂防工大意」が出版される |
1889年 | 22 | 55歳 | 7月「砂防工碑」(総社市池田)が建てられる |
1893年 | 26 | 59歳 | 6月「水災歎歌」を発表する 10月2年続きの大洪水、県内各地が被災する |
1894年 | 27 | 60歳 | 12月砂防工施設指導のため滋賀、三重、岐阜、愛知県へ出張する |
1896年 | 29 | 62歳 | 晩春「砂防工碑」(高梁市巨瀬)が建てられる |
1904年 | 37 | 70歳 | 4月「治水殖林本源論」が出版される |
1907年 | 40 | 73歳 | 3月県庁をやめる=賞金千円をいただく |
1911年 | 44 | 77歳 | 岡山市南方で死去 岡山市三門石井山にほうむられる |