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e-Bizen Museum <宇野圓三郎物語11>

記事ID:0000486 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

郷土が生んだ治山・治水の先駆者 宇野圓三郎物語

西鶴山公民館

治山・治水の第一人者に
惜しまれて県庁をやめる

 圓三郎は、73才になった1907年(明治40年)3月県庁をやめました。73才という高齢になるまで現職で頑張れたのは、治山・治水に生涯をかけた意気込みがとても強かったことのほかに、圓三郎の持っていた治山・治水の技術が抜群だったからだと思われます。
 県では、圓三郎がやめる時、砂防に力を尽くし、社会に大変役立ったというので賞金千円(そのころ岡山市内で2軒の家が買える額だった)を贈ったそうです。