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e-Bizen Museum <宇野圓三郎物語10>

記事ID:0000485 更新日:2023年4月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

郷土が生んだ治山・治水の先駆者 宇野圓三郎物語

西鶴山公民館

治山・治水の第一人者に
岡山の宇野から日本の宇野へ

 明治維新(1868年)後の岡山県のしっかりした砂防工事をほとんど手がけた圓三郎の功績は、高梁市巨瀬の「砂防工碑」、建部町中田の「砂防工事の標」、備前市福田の「宇野圓三郎翁遺徳碑」などに書かれていることから知ることができます。
 砂防ということについて広い知識をもち、実際に行う技術にも多くの経験を積んでいたことが、岡山県以外へも知れ渡りました。
 圓三郎は、滋賀県をはじめ三重県・岐阜県・愛知県・高知県などに招かれ、砂防工の指導にあたりました。また、富山県では、砂防工事務を頼まれ、1か月近くもとどまって指導しました