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e-Bizen Museum <佐藤陶崖>

記事ID:0000535 更新日:2019年12月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

佐藤陶崖物語

伊部公民館

医師と芸術の道

開業の画像1

 文化7(1810)年7月、陶崖は25歳で医師として伊部で開業しました。その年の4月に陶崖は播州(ばんしゅう)室津(むろつ)(今の兵庫県揖保郡御津町室津)に行き、名村金水という医師から、彼の診断法である腹候(ふくこう)(腹診)を学び始め、7月には伊部に帰りましたが、7年間ずっと学び続けます。

 腹候(腹診)とは、お腹に手を触れて、圧を加えながら、お腹の状態を診察して、病状を情報として得ることです。陶崖は、この腹候を行えば、患者に問わなくても病状が分かると考えていて、人々は、陶崖が診断のときに病状を質問しないので、不思議に思っていました。 

 文化8(1811)年、弟の観中が20歳で真光院の住職となり、陶崖はそのお祝いを兼ねて、5月に小橋平咸とともに牛窓に遊びにいきました。 陶崖は、いわゆる不治の病(治らないといわれていた病気)や難病にかかったときに、「運命だから仕方がない。」と、あきらめて放置することは、人間として恥ずかしいことだと思っていました。

 そこで、そういう病気を少しでも治そうと努力するために、古い漢方に学ぶだけでなく、新しい蘭方医学(オランダから伝わった西洋の医学)も学びたいと考えていて、『蘭学階悌(らんがくかいてい)』※などで独学していましたが 文化10(1813)年に室津で長崎の蘭方医吉雄永清と出会い、約100日間彼から学ぶことができました。

※ 『蘭学階梯』…蘭方医大槻玄沢(1757~1827)の著作で、蘭学への入門書とされています。

開業の画像2

 文化11(1814)年、弟の観中が病気の治療のため、陶崖のもとへ帰ってきました。さらに翌年7月に伯父信易も病気にかかりました。伯父のほうは陶崖が腹候の技術を使って治しましたが、10月に弟の観中は亡くなってしまいました。25歳の若さでした。