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e-Bizen Museum <佐藤陶崖8>

記事ID:0000532 更新日:2019年12月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

佐藤陶崖物語

伊部公民館

陶崖に改名

 翌年の7月、24歳で名前を信睦に改め、号(学者・文人・画家)などが、本名のほかに用いる雅名)を陶崖としました。
 陶崖は、閑谷学校では学んでいないと思われますが、武元登々葊・君立兄弟・万波醒廬(まんなみ せいろ)・斎藤一興(さいとう かずおき)・菅茶山(かん ちゃざん)など当を代表する学者・文化人と交流し、教えを乞い、学んでいることから、とても向学心旺盛な人物であったことがわかります。

陶崖に改名の画像

 先生達を訪問する旅は、各地での家伝薬「眞ゆ散」の販売はんばいも兼ねていて、販売方法は、商家(商店)に効能書(薬の効きめを書記したもの)とともに預、売れた分を後で集金する方法でした。

 その販売取次先は、主に備前国(今の岡山県南東部)、備中国(今の岡山県西部)、美作国(今の岡山県北部)、播磨国(今の兵庫県南西部)と四国にあったことが記録に残っています。

 「眞ゆ散」は、冷え性やリウマチに効く薬であったようで、作り方は、佐藤家で薬を作る後継者ただ一人にしか教えられないという秘伝の薬です。原料は白花アサガオの種子で、古くは近隣の農家で委託生産されていました。

 陶崖の7代前の先祖が作り始めてから、昭和20(1945)年頃まで作り続けられたようで、約300年の歴史があったことになります。