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e-Bizen Museum <佐藤陶崖4>

記事ID:0000528 更新日:2019年12月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

佐藤陶崖物語

伊部公民館

学問に励む次郎吉

 佐藤陶崖は、天明5(1785)年5月26日に和気郡伊部村(わけぐんい んべむら)(今の備前市伊部)に生まれました。今から約220年前のことです。幼い頃の名前は次郎吉といいました。父は佐藤喜太郎信高、母は李甫という名前で、父は備前焼を作って売る仕事をしていました。寛政2(1790)年、次郎吉が5歳のとき、弟の喜吉が生まれましたが、その年の6月に父信高が病気で亡くなってしまいました。

おいたちの画像

 そのため、母と幼い二人の兄弟は、伯父の与三兵衛信易に養育されることになりました。信易は医師で、佐藤家に代々伝わる「延壽眞ゆ散(えんじゅしんゆさん)」という薬を中心に、薬を作って売る仕事をしていました。信易には子供がいなかったため、次郎吉と喜吉を跡継ぎにするために厳しく育てました。また、父信高が行っていた備前焼作りは、金重安吉という人に任せて運営しました。

 次郎吉は伯父から「四書(ししょ)」「五経(ごきょう)」※などの漢籍(かんせき)(中国の書物)を教育され、安吉から備前焼を作る技術を学びました。

※ 「四書」「五経」…儒学の教えが書かれた書物の中で、「四書」とは『礼記(らいき)』の中の『大学(だいがく)』・『中庸(ちゅうよう)』の2編(へん)と『論語(ろんご)』・『孟子(もうし)』のこと。

 「五経」とは『易経(えききょう)』・『書経(しょきょう)』・『詩経(しきょう)』・『礼記』・『春秋(しゅんじゅう)』のこと。

 また儒学とは、孔子(こうし)が始めた中国古来の政治・道徳の学問で、日本で社会一般に広まったのは江戸時代以降のことでした。