| 備前焼は室町時代以降その生産量が飛躍的に増し、その後半になると、それまで熊山や浦伊部の山中で分散して焼かれていたものが、しだいに平野近くにおりるとともに窯が大型になり、同末期ごろから南・北・西の3大窯で集中的に生産されるようになった。
そのうちのひとつの南大窯はJR赤穂線伊部駅の南約200mの榧原山麓にあって、3基の窯のうち東側窯跡が最も大きく、長さ54m、幅5mあり、勾配は約20度である。基本的な構造は須恵器窯と大差なく、床を下げた上にアーチ形の天井をかけた?窯で、それを支える土柱が間隔をおいてたてられた。
製品の多くは壷や大甕などの日常雑器類であるが、茶陶や花器等の名品も数多く焼かれている。 |