島の紹介

  頭島の概要

 日生本土から約4キロの南にある。日生諸島の中心に位置し、周囲4キロ、面積54ヘクタール、世帯182戸、人口525人と諸島のうちで最も人口が多い。西の谷、入鹿の両漁港がある。

 

  頭島の歴史

 今から約170年前の享和年間(1801〜1803)に日生の人、山口忠三郎の父(名不詳)=現在西の谷の山口政太郎の祖先で、屋号は忠五郎屋=がはじめて日生から移住し、ついで松崎三次郎、岩見重次郎、同菊右衛門らが島へ渡って住みついた。その後しだいに日生からの移住者が多くなり(一部邑久郡からの移住者もある)島の至るところに民家が散在したが、大部分は島の南海岸に居住して半農半漁の生活を送り、明治の末年には人家が90戸に達した。
 和気郡誌によると「日生の人、この島に移住し、漁業のかたわら開墾に従事し、ついに今日の有様を呈せり。されば、言語、風俗日生と亳(ごう)も異なるところなし」とある。
 産業面では漁業による水揚げが年間で一経営体平均1,000〜1,500万円にのぼり、島内産業の中核をなしている。
 島はもともと水が少なく、水質も良好でないため、大正4年3月、町が西の谷小トロ谷筋に井戸を掘り水不足を補ったことがある。しかし雨が一週間も降らぬとたちまち水が枯れるという状態の中で、鹿久居島ほか他の島へ水汲みに出るなどして島民は生活をつづけてきたが、昭和36年9月、国から離島振興法による指定をうけ、昭和40年9月、鹿久居島穴虫川下流に貯水池を設けて浄水施設を設置し、鹿久居島西部を縦断し股(またげ)から頭島菰(拳母)まで海底送水を行い、狸山配水池から自然流下する町営簡易水道を敷設して水不足を解消した。
 また島には電気の設備がなく、島民はランプ生活を余儀なくさせられていたが、昭和27年にディーゼル機関による自家発電所が西の谷に設けられ、ようやく文化の光に浴したとはいえ、夜間だけの時間制給電のため不自由な点もあり、その上島の経済、財政の上からも相当の負担額にのぼるので、昭和41年8月、本格的に本土から連結した電気を導入した。
 昭和57年には下水道施設が完成し、本土に先駆け、環境整備がなされている。
 現在では美味しい魚が味わえる観光の島としてにぎわいを見せている。
 また、平成8年度より頭島〜本土間を結ぶ架橋事業に着手しており、島民の長年の悲願である架橋完成に向けて、島をあげて事業を推進している。
 以後、日生町は平成17年3月に備前市、吉永町と合併し「海とみどりと炎のまち 備前市 」として新たなスタートを切った。
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