
| 「正宗白鳥」(1879〜1962) 明治から昭和にかけての日本を代表する文学者。早稲田大学を出て、 島村抱月の指導で評論を書き始め1903年読売新聞社入社。 記者生活の傍ら小説を書き始めて、 「塵埃」、「何処へ」で自然主義作家として認められた。 然し彼の本領は評論であり文芸時評や回想録等に優れたものがある。 子供時代や帰郷の時、日生の風光を愛でて日生に訪れたという。 岡山県備前市伊里出身。 直木賞作家
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| 「藤原審爾」(1921〜1984) 岡山県備前市片上で生れ、閑谷中学から青山学院に進んだが 病気のため中退し岡山市に疎開。文学を志し、同人誌「曙」を引継ぎ発行。 文学界に発表した「練る煉獄の曲」で認められ、奥津温泉をテーマにした 「秋津温泉」が出世作となった。昭和27年「罪な女」で「直木賞」受賞。 社会的テーマを追い時代小説・推理小説も書き、作品は多数。 日生には魚と風光を求めて良く来訪。日生の甚九郎の小説を書くこと、 日生に別荘を建てたい等の話が具体化しているとき、亡くなられた。
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| 歌人「与謝野晶子・鉄幹」 (1878〜1942) 明治から昭和における堺出身の日本を代表する歌人・詩人。 '01年家を捨てて上京。同年処女歌集「みだれ髪」をだし、一躍有名になる。 歌人の与謝野鉄幹と結婚。自由奔放に青春の情熱と人間讃歌を歌いあげ、 文壇に浪漫主義の流れを確立した。「君死にたまうこと勿れ」 と歌った詩は有名。大正6年と昭和4年に正宗敦夫氏を伊里に訪れ、 4年には日生諸島に遊び数々の歌を残した。
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| 書家 「坂松帰庵」(1891〜1959) 岡山県美作安養寺で生れた僧侶。15才で得度。 真言宗大学を終え東寺の学園で宗学の研究と指導にあたるとともに、 書と篆刻に励み、竹筆で力強く奔放で豊かな独特の書風を創造した。 絵画・和歌にも優れた。 33才で三野法界院の住職となり、宗教振興・福祉活動に尽くす。 日生の風光、人情を愛し良く訪れた。 日生で書の頒布会も度々行なわれた。近年書の評価は高い。
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| 作家「眉村 卓」 (1934〜 大阪出身の小説家、本名は村上卓児。大阪窯耐に就職、 日生工場に昭和32年から11ヶ月間勤務す。同33年から大阪に転勤になり、 同38年の9月に大阪窯耐を退社す。彼は此の日生勤務を、 「日生には11ヶ月足らずだったが、大阪生れの大阪育ちで、 初めての異卿暮らしだったし、疾風怒涛の時代であった。…… 小さい頃住んでいた場所が空襲で焼かれ、… 日生になんとなく故卿めいたイメージを抱くようになった ……その後も、仕事が行きずまったり、 ストレスがたまってきたりすると、日生へ出掛、一泊する癖がついた。 今でもそうなのである。 実をいうと、ぼくは、そのせいで、自分の書いたものの舞台に、 何度も日生を使っている。……」 日生に来た最初の夜錦水に泊り、日生に居る間よく飲みに行たらしい。 また寮でも良く飲んでいたということだ。 文学に関心の強かった彼は、勤務の傍ら詩や俳句を作り続け、 同36年に、SF中間小説「下級アイデアマン」で文壇に登場す。 会社をやめて小説家として独立、昭和54年 「消滅の光輪」で「泉鏡花賞」を受賞する。 純SF的な味わいの中・短編小説で知られており、 将来の活躍が期待されている作家である。
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