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  武元登々庵について
 

武元登々庵 
武元登々庵肖像画
(吉永美術館所蔵)


 武元登々庵(たけもと とうとうあん)(1767〜1818)

漢詩人・書家・医者。名は正質。字は景文。号は登々庵・行庵。和気郡北方村(現吉永町岩崎)の和七郎の長男に生まれる。
幼少から学問を好み、閑谷学校へ入っては、神童といわれた。
病身であったため家督を弟君立に譲って諸国を旅行し、20歳の頃、江戸に遊学して柴野栗山の門に入るが、後に播磨の医師について眼科を学び眼科医となる。
蘭学を志しその翻訳書を筆写するとともに、備前に蘭学を広めるべく蘭学社中の設立を企て自ら蘭学修行のために長崎へ赴いたが断念。その後は、漢詩と書法の研究に専念した。

漢詩論を書いた『古詩韻範(こしいんぱん)(5巻)』は彼の名著であり、詩集『行庵詩草(こうあんしそう)(6巻)』は、楷書・行書・草書の達筆で書かれ、親交のあった菅茶山、頼山陽らの序文がのっている。
登々庵の遺墨は今日も各地で保存されており、また備中の豪渓の岩に彫られている「天柱」の2字は彼の妙筆を今に伝えている。

文化8年(1811)一時帰郷したが、同年再び家を出て京都に赴き、私塾を開き門弟を育てた。文化15年(1818)、52才で京都に没す。
京都の誠心院に墓があり、京都の長楽寺に門人が建てた記念碑がある。


 冊子の紹介
武元登々庵の幼少時代からの足跡をたどりながら、彼の代表作『古詩韻範』『行庵詩草』を中心に、その内容や書かれた背景、交友関係などを詳しく紹介した冊子を販売しています。

『武元登々庵の生涯と詩書』

著 者:米村昭二
発行年:2002年12月
発行元:備前市吉永美術館
価 格:1,500円
お問い合わせ先:吉永地域公民館
          (TEL0869-84-3839)
    
武元登々庵の生涯と詩書                     


『吉永町史』も販売しています。
  詳しくはこちらから


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