閑谷学校の全景

 

写真:岡山県教育庁より
 
 
閑谷学校 史跡

 
公門こうもん    重要文化財 元禄14(1701)年建造
 
藩主の通用門で御成門おなりもんともいった。建造形式は薬医門である。
 

 公門 

 閑谷学校 

 公門 

 閑谷学校 
 
 
校門こうもん    重要文化財 元禄14(1701)年建造
 
聖廟の正門として建造された。学校の校門でもある。扉を開ける時,鶴の鳴き声に似た音を発するため鶴鳴門かくめいもんとも称されている。両袖に附属室がある。
 

 校門 

 閑谷学校 

 校門 

 閑谷学校 

 校門 

 閑谷学校 
  ・校門 正面入口   ・校門 裏から
 
 

 講堂 

 閑谷学校 
講堂こうどう    国宝 元禄14(1701)年建造
 
屋根は入母屋造いりもやづくり,備前焼の本瓦錣葺ほんがわらしころぶき,周囲に廻縁まわりえんを設け木組きぐみは,大面取おおめんとりの角柱上に船肘木ふなひじきを置き桁けたを支える。廻縁上に連子れんじの欄間らんまを設けて大建築の空間を引き締めている。
 

 小斎 

 閑谷学校 
小斎しょうさい    
重要文化財 延宝5(1677)年建造
 
藩主臨学の際の御成の間である。質素な材を用いた数寄屋造り一の間,二の間の二室からなり,納戸,浴室,雪隠が附属している。
 
 
習芸斎しゅうげいさい:左  飲屋いんしつ:右    重要文化財 元禄14(1701)年造営
 

 習芸斎 

 閑谷学校 
学習に使われた部屋である。朔日に白鹿洞掲示講話が,三八の日に素読講釈が行われた。床の構造から畳が敷かれていたようである。天井は張ってなく太い自然木の骨組が見える野天井である。
 

 飲屋 

 閑谷学校 
生徒の休憩室に使われた部屋である。中央の炉のふちには「斬炉中炭火之外不許薪火」と刻み込まれてあり火の使用に細かい注意がはらわれていた。
土間の片側にある竹の箕は,湯茶の置場でその下には,御影石の流しがつくられている。
 
 
 
文庫ぶんこ    重要文化財 元禄14(1701)年建造
 文庫 

 閑谷学校 
 
学校の図書をおさめた収蔵庫で生徒には望みしだい貸与されていた。土蔵造りで屋根は置屋根,前室には土の戸が三重に造られており防火,防犯に万全を期している。
 
 
日除山ひよけやま
 

 日除山 

 閑谷学校 
この山の西側に学舎や学房(寄宿舎)などがつくられており,そこからの出火が講堂などに及ばないようにするため防火の目的でつくられた人工の山である。

 
 
聖廟せいびょうと楷の木かいのき    
 聖廟と楷の木 

 閑谷学校 
重要文化財 元禄14(1701)年建造
 
漆科の高木で学名はトネリバハゼノキという。大正4(1915)年,当時の農商務省林業試験場長だった白沢保美博士が,中国曲阜きょくふの孔子廟こうしびょうの楷の実を持ち帰り,大正14年にその苗を全国の孔子ゆかりの地に寄贈しました。
 聖廟と楷の木 

 閑谷学校 
楷の木は儒学の祖・孔子にちなんで「学問の木」ともいわれ,また,葉が左右揃って出るので,「楷書」の楷は,この木から付けられたともいわれます。
閑谷学校の一対の楷の木は,聖廟に向かって左側が深紅色に右側は黄色がかった炎紅色に紅葉し,日本一との評価がある銘木です。
 
閑谷学校世界遺産登録推進委員会パンフレットより抜粋
 
 
閑谷神社(芳烈祠ほうれっし)    重要文化財 貞享3(1686)年建造
 

 閑谷神社 

 閑谷学校 
 
 閑谷神社 

 閑谷学校 

 閑谷神社 

 閑谷学校 
岡山藩主池田家の祖先をはじめ光政の霊を祀る神社である。光政の諡おくりなをとって芳烈祠ほうれっしと称されていた。
 
 

椿山つばきやま    特別史跡 元禄15(1702)年造営
 

 椿山 

 閑谷学校 
 
 椿山 

 閑谷学校 
椿山(御納所ごなっしょ:池田光政の供養塚)が学校敷地の東隣に造営され,光政の遺髪・爪等が納められた。
 
 
石塀せきへい    重要文化財 元禄14(1701)年建造
 

 石塀 

 閑谷学校 
閑谷学校の敷地を一周し渓流に沿い,山腹をめぐって七六五米におよんでいる。
形のことなった石を巧みに組みあわせた切り込みはぎ式の石築きである。
内部には洗浄した割栗石くりいしをつめ雑草木を生やさぬように築造されており三百年をへた今日でも,豪荘で端然たる姿を伝えている。
 
 


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