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三方山でかこまれた村をつつむ夜は、山と土地とま だハッキリ見わけのつかない 闇の中に針でつついても亀裂の入りそうなするどい空気をはりつめていた。
(中略)瞼をふさげば、海辺の風物が――あの岬 につき出た松の枝ぶりが、今にもひしゃげそうな藁葺 きの家のたたずまいが、波止場にかたむいた 果物 倉庫のかたちが、氏神さまのある 不恰好な小山の色あいが、 湾 に流れ入る小川にかけられた石橋の 傾斜が、でこぼこの県道を走る ボロクソのバスのすがたが――彷彿 として、カメラ・アイのごとく 眼底に映 ずるのだ。
集英社刊 澤辺成徳著「無頼の河は清冽なり」中
(「故郷のメルヘン」『旅』昭和27.11 月号より)から |
錬三郎 が生まれたころはまだ、鶴海 から十里 はなれた岡山市まで、1日に2回しかバスが出なかった。 鶴山村鶴海は現在、備前市の工業地区として栄えている。 (昭和26年、和気郡片上町と伊部町が合併になり備前町が設置されたが、 昭和30年、和気郡鶴山村、香登町、伊里町が備前町と合併された時、邑久郡鶴山村も合併になっている。
備前町はその後、昭和46年に三石町とも合併になり、市制となった。) だが、鶴海はながいあいだ、交通の便が悪かった。大阪あたりからこの入江の村へたどり着こうとするならば、
山陽本線の 和気清麻呂ゆかりの地である和気駅で降りて、 軽便 鉄道 で30分、片上というさびれた小港に出なければならない。 そこから巡航船 で20分、 入江の海を走らなければ鶴海には着かないのだ。巡航船 に乗らない方法もあるのだが、片上から鶴海まで三里の峠越えを余儀なくされる。 鶴山村鶴海は海岸でねむったような僻地であったのである。
集英社刊 澤辺成徳著「無頼の河は清冽なり」より |
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| 鶴海の入り江、右手前に唐島。明地山は、まだ、削られていない。 |
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