備前市世代ふれあい交流事業
柴田練三郎略伝
東鶴山公民館
柴田練三郎
大正6年(1917)〜昭和53年(1978)

昭和31年は日本の大衆小説の主役である剣豪(けんごう)系譜(けいふ柴田練三郎写真)突然(とつぜん)変異(へんい)のおこった歴史的な年である。宮本(みやもと)武蔵(むさし)荒木(あらき)又右衛門(またえもん)千葉周作(ちばしゅうさく)などのかげがうすくなり、突如(とつじょ)として奇想天外(きそうてんがい)な新人英雄があらわれて、大衆の心をうばってしまった。すなわち柴田錬(しばたれん)三郎(ざぶろう)の「(ねむり)狂四郎(きょうしろう)無頼(ぶらい)(ひかえ)」の登場である。

 (ねむり)狂四郎(きょうしろう)の出現は「大菩薩峠(だいぼさつとうげ)」の(つくえ)龍之介(りゅうのすけ)以来のニヒリスト剣士(けんし)の流れをくむものであったが、「机」が小学生時代(じだい)から万人に親しい家具であることからヒントを得て、同じく誰でもが毎日経験しないではすまぬ「(ねむり)」という(せい)にして、覚えやすくしたところにサービス精神があると、作者シバレン氏は言っている。狂四郎(きょうしろう)の性格は、それまでの時代物の主人公(特に吉川英治の宮本武蔵(むさし))のまるっきり逆手をとったもので、反精神主義、反正義派、愛刀岡崎(おかざき)五郎正宗(まさむね)がひとたび(さや)(ばし)れば、破邪(はじゃ)の剣ではなく、残虐(ざんぎゃく)無道(むどう)凶器(きょうき)となる。氏素姓(うじすじょう)にいたってはさらに異端(いたん)で、転びバテレンと大目付の娘の間に生まれた混血児という設定であり、催眠術(さいみんじゅつ)応用の円月殺法(えんげつさっぽう)で人を()りまくる。――それは占領下(せんりょうか)日本の抑圧(よくあつ)状況に対する自虐(じぎゃく)のロマン派的(シバレン氏は佐藤春夫門下(もんか)である)展開の一変態(いちへんたい)であるかも知れない。そのせいかどうか、(ねむり)狂四郎(きょうしろう)市川雷蔵(いちかわらいぞう)主演で映画化され、いっそう広い大衆に永く愛されるアイドルとなって、その人気は昔の大河内伝次郎(おおこうちでんじろう)丹下(たんげ)左膳(さぜん)をしのぐほどであった。

  

そのハードボイルドな英雄(えいゆう)誕生(たんじょう)させた柴田錬三郎(しばたれんざぶろう)は、邑久郡鶴山村(今は備前市)の生まれ、本姓(ほんせい)斎藤(さいとう)。父は鏑木(かぶらぎ)清方(きよかた)と同門の日本画家だったが早世(そうせい)、兄2人と共に母に育てられた。なかなかのいたずら坊主だったが、友達仲間の前でたちまち一篇(いっぺん)冒険(ぼうけん)物語をつくって語って聞かせるような才能があったという。

 鶴山小学校(今は東鶴山小)、岡山二中(今は操山高校)を経て慶応(けいおう)大学支那(しな)文学科に入り、予科3年の時、処女作(しょじょさく)「十円紙幣(しへい)」を「三田(みた)文学」に発表した。つづいて何篇(なんぺん)かの習作を同誌に書くが、一方、魯迅(ろじん)傾倒(けいとう)し「魯迅幼年記」も載せている。その頃、キリシタンにも興味を持ち、またリラダン、メリメ、ワイルドなど異端(いたん)作家も耽読(たんどく)したという。

 昭和15年卒業して日本出版協会に(つと)めていたが、17年衛生兵(えいせいへい)として召集(しょうしゅう)され、南方へ派遣(はけん)される途上(とじょう)台湾南方(たいわんなんぽう)のバシー海峡(かいきょう)航行中(こうこうちゅう)敵襲(てきしゅう)にあって乗船(じょうせん)撃沈(げきちん)、7時間漂流(ひょうりゅう)ののち奇跡的(きせきてき)に救われるという波乱(はらん)体験(たいけん)している。

 戦後は日本読書新聞の再刊(さいかん)に努力、のち書評(しょひょう)編集長(へんしゅうちょう)、24年文筆(ぶんぴつ)生活に入りカストリ雑誌の読み物や少年少女向け読み物を濫作(らんさく)して、師の佐藤春夫に(しか)られてから()をとりなおし、26年「デス・マスク」を「三田(みた)文学(ぶんがく)」6月号に書いたのが芥川賞(あくたがわしょう)候補(こうほ)となり、さらに「イエスの(すえ)」を12月号に発表、それが翌年直木賞(なおきしょう)を受賞して、文壇(ぶんだん)に登場した。そして受賞第一作に「真説(しんせつ)河内山(こうちやま)宗俊(そうしゅん)」を書いたのを転機(てんき)として時代小説作家になって行く。

 以後精力的(せいりょくてき)執筆(しっぴつ)をつづけ、直木賞(なおきしょう)選考(せんこう)委員(いいん)もつとめて来たが、赤穂(あこう)浪士(ろうし)新解釈(しんかいしゃく)をくわえた「復讐(ふくしゅう)四十七士(しじゅうしちし)執筆中(しっぴつちゅう)肺性心(はいせいしん)で急死。「柴田(しばた)錬三郎(れんざぶろう)時代小説全集」全26巻がある。

額装今、母校東鶴山小の校長室に原稿(げんこう)用紙(ようし)にペン書きの手紙が額装(がくそう)して(かか)げられている。「(おさな)諸君(しょくん)へ」と同窓(どうそう)後輩(こうはい)あてに「自分は本を読むのが好きで小説家になった。自分の好きなことを早くみつけ、一生懸命(いっしょうけんめい)にやってほしい。けんかが好きならボクサーに、機械(きかい)いじりが好きなら工場で(はたら)く。無理(むり)に大学へ行く必要(ひつよう)はない云々(うんぬん)」。昭和26年2月19日の消印(けしいん)だから、佐藤春夫(さとうはるお)のお小言(こごと)発奮(はっぷん)して「デス・マスク」執筆(しっぴつ)に打ち込んでいた時期に当たるようだ。

(岡山文庫『岡山の文学アルバム』より)

もどる